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ダルメシアン

更新日:2021年6月28日

 




ダルメシアン




 歌人の人たちが、精神が柔軟な人ばかりかというと、そんなことはありません。


 私は今までたくさんのダルメシアンの歌を作ってきましたし、自分でデザインを考えたダルメシアン柄の歌集も2冊発刊しています。


 『ダルメシアンの家』と『ダルメシアンの壺』です。


 ところが歌集を読んだ歌人たちが、「そんな犬が存在するはずがない」「勝手に想像した犬だ」「作りものだ」という話を得々としている場面を何度も見かけました。私はとても傷つきました。


 ルメが存在していないと勝手に言いふらされては、いい気がしません。


 しかし多くの人は思い込みが激しくて、私もときどき訂正しようとしましたが、信じてはもらえませんでした。多分、実話だというよりも、そっちの作り話の方が面白いからでしょう。

 そもそもダルメシアンという犬に親しみがないのです。しかも、青い目などありえないのです。


 『ダルメシアンの壺』から何首か歌を引きますが、ここに描かれている情景も、ルメも、カワセミも、公園も、蕗の薹も実在しています。




  浅春のあをぐさき枯れ枝(え)に胸躍ることまだ知らず歩むかルメは

  

  ふきのたうわれは好めど鼻つけて「にがさうねえ」とルメは眉寄す

  

  池の辺のベンチに坐して枯れ枝なるかはせみの黒き眼と見つめあふ

  

  かはせみの塗り箸のごときくちばしの下(した)紅しこの雌は吾(あ)のもの

  

  枝(え)を替へてかはせみほそく首伸ばしチイと鳴くなり猫背のわれに

  

  かはせみのオレンジの胸に波明かり這ひあがるほそき列くづしつつ

  

  まるまりて頭(づ)を上下さすかはせみのくちばしはいつかほそき鶴なり

  

  ルメに似るぶちもつ鯉のいりみだれされど白地に黒ぶちはをらず

  

  白き肌しなやかに揺れはだかなるルメが臆せずわれを引くなり

  

  すれちがふ媼たちより声あがる「百八匹のわんちやん!」「さうさう!」

 

  百八は塵労だよねといふわれをルメが見あげる青きまなこで




 少し注を加えると、「百八匹のわんちやん」は、『101匹わんちゃん』のことを誤って言ったのです。

 百八というのは、仏教で煩悩を数えるときに使う言葉です。除夜の鐘は百八回打って、煩悩を清めると言います。


 煩悩というと、すぐにかなり仏教臭を放ってしまうので、ほかの言葉を探しました。この煩悩のことを、別の言葉で「塵労」(じんろう)と呼ぶことがあります。仏教語ですが、そのほかに、俗世間のめんどうな関わり合いという意味があります。

 「塵労」はまた、夏目漱石の『行人』の重要なパートの題名になっています。『ダルメシアンの壺』は夏目漱石や芥川龍之介の物語をメインに置いているので、そいういう言葉を使ったのです。


 いうまでもありませんが、もちろん私も塵労にとらわれた愚かな存在です。










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