大学という空間
- shunjihioki

- 2021年6月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年6月28日
大学という空間
光あるところに影があります。
大学という場所は、理性と知性にあふれた、光に満ちたところだと考えていると、とんでもない暗闇に出会ってびっくりすることもあります。
ここで、1990年に発刊された小説について話をしましょう。
当時、とても話題になりました。
筒井康隆の長編小説『文学部唯野教授』という作品です。
「ただの教授」という名前は、もちろんパロディとして使用されています。
早治大学文学部の只野教授は、ひそかにペンネームを使って純文学の小説を執筆しています。
幼児性の強い教授たちが足の引っ張り合いをする世界、嫉妬と陰謀が渦巻く世界で、もし小説を書いていることがばれてしまえば、大学にいられなくなるだろうと只野教授は恐れています。
少しでもみんなと違うことをすれば、排斥されてしまうのです。
面白いのは、それでも様々な文学理論を実践してみたくて、綱渡りをするように小説を書き続けてしまう只野教授の情熱です。
ところが、とうとう只野教授の作品が文学賞を受賞してしまい、作者の正体がばれてしまって大騒ぎになるのです。
小説には、文学理論の講義の部分がついていますが、物語はそんな内容です。
文学を研究するものが、その理論を実践するために文学作品を生み出すことは、ごく自然な話であると私は思います。
しかし、そのような自由を許そうとしない、硬直した発想やひどい抑圧を、私はいままでしばしば目にしてきました。
昭和から平成となり、平成から令和となり、時代が変わりましたが、古い人間がすぐ変化するわけではありません。
今では、インターネットで作品を発表する人も増え、短歌を作ることや小説を書くことは、誰にでもできる話であり、ジョギングをしたり、買い物に出かけたりすることとそれほど違いません。
学生のころ、もし只野教授の授業があれば、私は必ず受講していたと思います。
自然科学の世界では、どんな理論も、実験で証明されなければなりません。
私も自分の文学理論を、実際の作品の中で応用してみたいという誘惑に勝つことができません。
私の小説には、大学で文学の授業をしている様子が描かれていますが、これには『文学部只野教授』の影響があるのかもしれません。
今日の写真は、いつも散歩する都内の公園の、雪の降る暗い景色を撮影したものです。池から湯気が立っているようにも見えますね。





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