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ブロンドのむら

更新日:2021年7月4日



ブロンドのむら





    日置俊次歌集『ノートル・ダムの椅子』より



  カテドラルが夕映えの髪を梳かしをり 春のかなしみ春にをさめよ


  どの神でもいいとつぶやく 薔薇窓へくねりつつのぼる鬱の塵埃


  茶席のごとく身幅だけ黒いドアあけてソルボンヌ大学の教室に入る


  長い髪のうしろに座りブロンドの斑(むら)見つめつつ心理学聴く



 最後の髪の歌を批評してくれたある人が、髪をブロンドに染めているのでむらがあるのだと解説していましたが、私が見ている限り、髪を染めていれば均一の金色でむらが出ないのです。

 フランスに行く前は、金髪の人はすべて一本一本の髪がすべて金色なんだろうなと想像していました。

 まるで一神教で統一されているような感覚ですが、どうも実際は違うようです。


 ヨーロッパでは、みんな、一人ひとり髪の色は違います。

 白い人も黒い人も赤い人もいます。

 ブロンドの人も髪の一部に濃いところや薄いところがあります。毛の根元の方が濃い色で、毛先に行くと薄くなるという傾向があるかもしれません。黒い色が混じっていたり、茶色が混じっていたり、もっと違う色が混ざっていたりします。

 それが常識でした。

 ロボットや機械のような統一というものがないのが人間として普通ですね。均一の色の人もいるようですが、均一であるほうが珍しいという感じがします。均等均質均一左右対称ではないのです。

 

 生き物というものは実に多様であり、当然のようにムラを抱えて生きているものであり、それは弱点ではないということです。

 また、例えば目の色にしても、みんな青い眼だとか赤い眼だと定められない実に複雑な色をしているものです。


 色だけではなく、私たちの目の形はよく見ると、たいていの場合、左右対称ではありません。

 自然は、左右対象でないこと、均等ではないことが普通なのです。

 

 決して均質ではないのが人間であり、そこに魅力も生まれるということを、40年も前に、フランスで学びました。

 

 ルメの目の色がまさにそうだと思います。





 
 
 

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